ghettos 1st 7inch single “STILL ALIVE” RELEASE INTERVIEW バナー画像

ghettos 1st single『STILL ALIVE』 RELEASE INTERVIEW

NINGEN-DO INTERVIEW #004

 2017年6月某日、ghettosの拠点である高円寺DOM STUDIOの屋上にてリーダーのマコトさん(以下:M/Conga)とヴォーカルのグリコ(以下:G)の二人にインタビューを敢行! 当日マコトさんと用事があったというROCKETのドラム・イヌイくん(以下:I)も同席でお話を聞きました!
 話が盛り上がり過ぎて大幅カットをせざる負えなくなってしまい(苦笑)、一時は完全封印原稿にという話になりましたが、ごっそりカットさせていただきご愛敬★仕様でお届けいたします!

※メンバー個人名がたくさん出てきます(15名)。
ghettosのメンバー構成はリリースインフォメーションを参照してください。

“ghettos”

――ざっくりし過ぎた質問ですが、まずは今作についての聴きどころといいますか、1st シングルについて教えてください。


:一応両A面なんですけど、A面とB面がまったく真逆の表現の仕方で作ってみたので、そういうコントラストを楽しんでいただけたらなと思います。
 
:結局、狙ってできた曲じゃなくて、たまたまこうやって生まれた曲だからね。
 

――両曲ともに?

 
:うん、両方。
 
:いや、違う! 『出口はいらない』は、トランペットのアニキが『こういう風な感じで』っていうあらかたのメロディとリフを持ってきた上でみんなでこねくり回して作った感じ。
 
:『Abunjahbun still alive』の方は元々アブンジャっていう×××のアフリカ人がいて、
 

――はい(笑)。

:ちょっとこれ順序がおかしくなっちゃうけど、ghettosが結成した時はコンガが2人とボンゴとティンパレスの4人から始まってて、
 
:(小さい声でポツリと)3人……。
 
:で、そのあとワラワラワラワラと人数が増えてって、あたしもあとに加入して、ベースがいない状態でずっと活動をしてて。
 
:で、ライヴをやったんだけど、その時にアブンジャっていう胡散臭いアフリカ人が『俺にやらせろ!』と。
 

――そのアブンジャさんはどこで出会ったんですか?

 
:それはトシさん(Timbales/現在服役中)の友だち。
 
:で、アブンジャがベースを弾かせてくれと勝手に入ってきて、
 
:『このままだと、ドラムが可愛そうだ!』って。
 
:で、ジャムってライヴやってたんだけど、曲とかじゃなくて。元々ghettosはパーカッションのジャムバンドだから。で、そいつがベースをのっけたから、そのベースのリフを起こして曲にしていったんだけど。
 
G:ヴォーカルのラインは、その時にいた人間で高円寺の阿波踊りでやった最初のゲリラライヴの時のジャムで出てきたのを合わせて作っていって。曲名に関してはドラムのアユミがふざけた曲名をつけるのが好きで、アニキのバンドの曲でも『耕さん服役中』とか(笑)、そういうふざけた曲名ばっかりつけていた中で、アブンジャの本名がアブンジャブン(=Abunjahbun)で、『アブンジャブンはまだ生きている』ってことで『Abunjahbun still alive』という曲名になりました。

――じゃあ、アブンジャさんはもうこの界隈にはいないんですか?

 
M:全然いるよ!
 
G:たまに会う。
 
M:「ヤーマン!ヤーマン!」つって。
 
G:「ワンラヴ!」
 
M:「ネバギバップ!」
 
G:もうその三つしか喋れないから。
 
M:そこで繋がってるというね。友だちというか、仲間? その三つの言葉だけで会話できる。
 

――いいですね(笑)。

 
G:でも、ほんとの部分で会話できているかはわからない。
 

――歌詞は?

 
G:『Abunjahbun still alive』に関しては、これ、載るのか~……(苦笑)。
 
M:言っちゃえ言っちゃえ!
 
G:いや、これ、まぁ、言っちゃうけど、
 
M:言っちゃえよ、これは宣戦布告だよ。
 
G:じゃあ宣戦布告しようかな。まぁ、あたしもこの辺のハードコアが好きだし、その人たちの垢太郎のように煎じた垢をもらって、一個一個形成してもらって今の人間性とかを作ってもらったのもあって、ただ上下関係とかそういうところからまったく外れた年代にあたしは今年27歳なんでいるんですけど、で、ここ10年、いや、15年くらいか、この界隈にいて、それぞれ影響を受けた人たちがおじさんになっていくのを見て、まぁ~頭が固くなっていっていて(苦笑)。それはもうちょっと、何にしてもそうなんだけど、もう一歩、お互い歩み寄れば、全部うまくいくのにっていうことを……、なんだろう、あたしは傍らですごく見ていて。そういうことに関して、物凄い村社会的な、
 
M:(村社会は)自分たちが一番嫌ってことなんだよ。
 
G:そう。
 
M:(グリコに)言われて俺も気づくんだけど、自分たちが一番嫌ってたことなのに、そういう風になっちゃってきてるような気がする。グリコたちが一番感じている世代だから。
 
G:結局ハードコアに関してもこの世の中に関しても、誰か一人を叩けばそれで解決、みたいな、安倍総理とかもそうだけど、別にアイコン的な存在をバッと叩いたからっていってこの情勢とか元々の腐った流れとかが別に変わるわけじゃなくて、本当に何に対して怒ってるのかとか、何に対して頭にきてるのかとか、何を変えていきたいのかとか、どういう風に生きていければ自分の人生がひとつとして豊かなのかとか、そういうことに対してみんな目を向けなくなってきている。っていうか、すげー馬鹿にされてきてんだなっていうのが凄くあって。そういうところに関してそうモヤモヤ思っていたところと、最近の世の中の流れだったり情勢だったり、レコーディングしたあとに共謀罪が可決されたりとかもしていて。別に今みんながわーって騒いでるからなんだっていう話で、もう昔からそんなの変わってきてなくて。でも一個、こういう状況に立たされたからには、一個自分らで、もう、やっていくしかないってことを漠然と書いたものになっています、はい。

――『なめんなよ!』ですね。FUCK OFF!!

 
G:全部FUCK OFFです(笑)。
 
M:自分にもね!
 
全員:(爆笑)。
 
G:ほんとだよ、自分にもなんだよ(笑)。
 
M:ROCKやるなら絶対ずっと自分にもFUCK OFFだと思うんだよ。じゃないと、ね!
 

――勉強になります!

 
:歌詞は全部グリコなの?
 
G:歌は全部あたしです。今回はレコーディングしていない『ナマクラ』って一番最初に作った曲があって、あたしのイメージ的には他のメンバーの人はわかんないですけど、サンタナな感じの1番最初にできたジャムの曲があって、その曲に関しては今もう長崎に帰ってしまったRANGE & THE DIRTY HOSPITALのヴォーカルだったレンジさんとツインヴォーカルだった初期の時期にレンジさんが残していったっていうところがあって、その歌詞以外はあたしが書いてます。
 

――『ナマクラ』も最高にかっこいいですね。

 
M:あれが原点だからね。歌詞はタツヤ(Conga)が持って来たんだけど。
 

――へー! そうなんすね。

 
G:あたしが言った“とにかく感情を剥き出しにして生きていたい”みたいな、そのまんまで。なんかいつの間にか、その、村社会的なのにも繋がるんですけど、結局そのまんまでいることに関して、こういう誰でもいていい場所で、誰でも来ていい場所なのに、結局村には村のルールブックが必要で、って、そういうところじゃなくて、そのまんま。自分のそのまんまを見せる代わりに、相手のそのまんまも受け入れる。自分の多面性も相手の多面性も受け入れるためにはまずは自分が剥き出しになるべきだ、みたいな気持ちで剥き出して生きていたいっていう言葉をタツヤが拾ってくれて。で、『剥き出しで生きていたい。抜けよ、ナマクラ、ghettos』と。
 
M:鈍刀(なまくらがたな)ってあるじゃん。

――研がれていないどうしょうもないやつですね。

 
M:そう、俺らそっから始まってるから。ghettosの根本的なスタートの言葉。言葉にするとね。そっから始まってる。しかもそれを歌えば金になった。
 
G:(笑)。
 

――どういうことですか?

 
M:曲も作ってないのにジャムだけで『ナマクラ』をやって40分で56000円だよ。
 

――どういうことですか? 誰にもらったんですか?

 
G:路上で、(高円寺の)阿波踊りの時に。
 

――あっ、ゲリラライヴの時の投げ銭ってことですか? ちゃりんちゃりん。

 
M:そう、ちゃりんちゃりん。
 
G:なんとなく投げ銭の入れ物を置いておいたら入れてくれるかな?と思ったら。
 
M:でも5万だよ!? “剥き出しになればなるほど金になるんだ!”と思って!
 
全員:(爆笑)。
 
M:自分がお世話になったというか、自分が一番影響を受けた人がいるんだけど、その人の言葉で、『わしら芸人だから、これも芸事だから、自分の様を売ってやるんだ』っていうのがすげー印象に残ってて。だから、さらけ出せば金になるんだっていうね(笑)。でも、最初に(高円寺の阿波踊りで)路上でやった時にね、お巡り何十人に囲まれつつも、子どもが『ドラム叩かしてくれ!』つってきて、母ちゃんが『子どもが叩きたいって言ってる』っつうから叩かしてあげたんだ。もう、大ノリだよそれで。それがまたヤバいんだよね!

G:必ず路上でやってると子どもが影響されて“やらしてくれ!”って言ってくるんです。
 
M:俺はそれがデカいの。ようは、音楽やっててね、何十年も音楽やってて、俺の中では“オラ!”しか、まぁ、ハードコアパンク。語弊があるかもしんないけど、自分の中の戦いで“オラ!”ってやってきたから、それのみの音でね。でもせっかく楽器を持ってんならね、音楽を昔自分が喰らったように、音楽でいろいろこう、そう、勇気を貰ったり、
 
G:もちろんハードコアっていうところで、あたしも……
 

――グリコちょっと待って、一回、全部喋り終わってから順番に喋りましょ! まだ話終わってないから(笑)。

 
G:はい!
 

――はい! まことさん、『勇気をもらったり』、の続きを。

 
M:え? 何言おうとしたか忘れちゃったよ(笑)。
 
I:子どもが『やらしてくれ!』って言ってきてくれたりね、
 
M:そう! 自分がちっちゃい頃から喰らってる音楽。歌謡曲でもなんでも。俺はパンクだけを聴いて育ってきたわけではなくて、歌謡曲からいろんな国の音楽から、コマーシャルソングもそう、そういうのを喰らった上で吐き出していきたいなって。何十年も音楽やってたらやっぱ、そういう自分が喰らった折り返し地点に来て、自分が喰らった音楽が、自分ではこういう風になったって、人に、自分がパワーを貰ったように与えられればいいかなって、ちょっとはそういうことにも還元してみたいなと思った。というのもあって。だから、路上でやってれば、年取った爺さん婆さんが踊ってみたり、子どももそう、国籍も関係ないんだよ。俺の思ってた音楽の凄いところが露骨にシビアにすごい感じるんだよね。それをghettosでやっていきたいの。
 
G:あたしはハードコアパンクというところにずっといて、その周りの人たちにもすごい敬意もあるんですが、その狭いところでやっていることに関して、仲間内だけでどんどんどんどん血も濃くなって、人も少なくなっての状態のライヴハウスで、何かこの自分の気持ちとかを訴えていっても、特に政治的なこととか訴えていっても、あんまり関係ないというか、展開していかないというか。結局自分に向かうっていうところの部分で、そのハードコアっていうのが自分の根底の部分にはあるけれども、これはテツ(Bass)ともよく話をするんですけど、内だけに向かうんではなく外だけに向かうんでもなく、その両方をやっぱりバランスとってやっていきたいと思っていて。で、やっぱりドッタドッドタだけじゃどうしても表現ができない音楽の一番楽しいところをやっぱ表現したいっていう人間が集まって今やっていて、だからハードコアのバンドを他のメンバーもそれぞれやっていて、

M:ハードコアパンクな! 
 
G:そう、ハードコアパンクのバンドをやっていて、
 
M:ちょっと、そこは語弊がでる、ちょっとそこはな……。あの、物凄い、ハードコアパンク……まぁ、いいや。
 
G:ちょっとわかんなくなっちゃうから(笑)。で、結局何がハードコアなのかって私が言われたら、誰でも持ってるもんだと思ってて、ハードコアの部分を。自分の一番核の部分だから、それはハードコアパンク以外の人間でも、人間が一人一人それぞれ持っているもんで、それに関して自分のその核の部分を磨いていく、注目してそこに対して向き合って向かい合って切磋琢磨していくことをやっている人がハードコアパンクの人間だと思うんですよ。もちろん音楽に関してはハードコアでやってる人たちはそれぞれいろいろあると思うんですけどね。
 
M:日本のハードコアパンクから、俺は少なからずその影響を受けている。実際に触れてみてね。触れてみたのよ、思ってるだけじゃなくてね。最前線でやってる人らに触れてみて、俺はそう感じた。あの人たちに触れてみて、ハードコアパンクっつうのを今もやってて、やってるからこそghettosってのは生まれたから。ハードコアパンクをやってないと、とことん自分なりにどっぷり浸かってないと、ghettosってできなかったんだよ。なぜなら、勇気が湧いてこなかった。俺はハードコアパンクに勇気を貰ったから(笑)。ハードコアパンクに、“これでいいんだ!”っていう確信をもらったからね。最前線の日本のハードコアパンクの人らに今も貰ってるし。
 
G:あたしもそうなんです。語弊があるかもしれないから、そこを強調して書いといてください、怒られちゃうから(笑)。
 
M:でも、自分の答えはあそこだけでは収まんなかったんだよね、表現するにはね。表現するにはだよ。
 
G:収まらない人間だけが集まっていると思います、今のghettosのメンバーは。
 

――話が盛り上がりすぎて『Abunjahbun still alive』の曲紹介がここまで脱線してしまいましたので(笑)、もう一曲の『出口はいらない』についてももう少しお話を聞かせてください。

 
M:喋ることはいっぱいあるからな。曲の宣伝な、宣伝は、任せる!
 
G:『出口にいらない』に関しては、さっき言ったけどトランペットのアニキが曲を持ってきて、こういう感じでやっていくのもいいんじゃないかって言って、初めて曲を作ろうと思って作った曲で、
 
M:最初はつまんなかったよね~。

G:スッゲーつまんなくて、最初はどうしたらいいかわらなかったんだけど。パーツとしてはあるけどどうしよっかみたいな状態でずーっとほったらかしになってたのを、一個やってこうってこねくり回しているうちに、例えばFunkadelicだったりとか、そういう70年代Funkとかだったら絶対お約束であるコーラスで始まるってなって、
 
M:違うよ、60年代だよ。
 
G:あ、60年代ね、すみませんね。あたしとしては70年代なんだけど、
 
M:違う、60年代のSoulから。Motown。そう、Motownからだから。これね、あるから。
 
G:じゃあそこはそれで今のは訂正してください(笑)。
 
M:Motownなんだよね~、そう。
 
G:まぁ、それでそのお約束であるのをやっちゃう?みたいなのでやってみたら、
 
M:照れずにやっちゃおう!なんだよ。
 
G:照れずに、ね。
 
M:それがでかいんだよ。歌も歌えないじゃなくてもう、歌っちゃう。みんなで歌っちゃうんだよ。
 
G:それでコーラスから始まる部分っていうので、みんなの意識が、“これ、いいんじゃない?”ってなったみたいな。テツに関しては、コーラスで始まった時のスタジオの練習を録って家に帰って聴いて、またあの人酒乱だから、ベロベロに酔っぱらって泣きながらアユミに電話して、『俺、こんなことができると思ってなかったよ!』みたいな(笑)。『こんな音楽が俺らにできると思ってなかった!』みたいな感じで。
 
M:え、……俺それ聞いてねぇな。
 
G:まぁ、それぞれね。
 

――これだけメンバーがいたらそれはそうでしょうね(笑)。

 
G:で、“これはイケんじゃね?”ってなって、“これがアリならこれもアリなんじゃね?”ってなってできていった曲で、歌詞に関しては完全にくっそ舐めてる(笑)。
 
M:歌い方もポップにしてな!
 
G:そう。あたしは、舐めてる。めちゃくちゃ舐めてるんで、人間が(笑)。真面目なこともちゃんと言うんだけど、基本的にすべてを舐めてかかっているので、そういうのを敢えて出してみようという感じで、歌い方とかも完全に変えてやってみようかなって思ってて、今回レコーディングの話をもらって、で、対になるような感じで『Abunjahbun still alive』を入れるとしたら、物事って表裏一体だと思うから、絶対ひとつのことだけっていうのはなくて、それは自分の中でもそうで、相手と自分と男と女とか夜と昼とか、そういうのも全部あったうえで自分の中のどっちも持ってる対極の部分を出したいなと思ってやってみました。あと、いまちょうどサヤカ(Djembe・Flute)が来たから思い出したけど、サヤカはずっとジャンべを叩いてたんだけど、元々サヤカはダイオウイカではフルートを吹いていたから、サヤカがフルートが吹けると。
 
M:そうだよ、それでもだいぶ化けたんだよ。
 
G:初めてバンドサウンドとフルートを合わせた曲っていうところも聴きどころですね。サヤカ嬢は最後の最後まで練りに練って、レコーディング前に胃腸炎になって、くちびる真紫になりながら『それでもやる!』って、
 
M:その状態でやったもんねぇ、はは~。
 
G:そこまで根詰めてストイックにやったフルートソロもかなりの聴きどころに入ってますから注目して聴いてほしいな。
 
M:かなりだよなぁ。『出口はいらない』はフルート凄いよ。酔っぱらいのおばさん、バツイチのな。
 
サヤカ(以下:S):……ちょっと(笑)。
 
G:ghettos離婚ですよ(笑)。
 
S:……お姉さんです。
 
M:勇気が湧くと思うよ、ふははは~。

――今回のレコーディング時のメンバーが14人いて、その14人で一発録りをするために“ここでレコーディングするの?”って驚くレベルのかなり大型の素晴らしいレコーディングスタジオでレコーディングしたわけですが、あそこで録ろうというのは誰が言い始めたんですか?

 
G:それはあたしが、というか結果的にはYahoo!知恵袋で相談して(笑)、“ここがいいんじゃないか?”みたいな回答を全然知らない人から5つくらい候補のスタジオを教えてもらって、その中から値段的な問題と、(一発録りが)できるかどうかっていうのであそこに決まったのかな。
 

――一発録りっていうのはこだわってた?

 
M:こだわってたの。なんでこだわったかっていったら、生だから。生々しい音のみで、うん。
 
G:で、今回頼んだのがSnakeman showとかのレコーディングエンジニアとか、Michael Jacksonの日本でのレコーディングの立ち合いとかもやったことがある藤田さんという、
 
M:自称ね。
 
G:自称じゃないです!あの~(笑)、まぁそのエンジニアの人に頼むことになって。
 
M:そいつがたまたまDOM STUDIOでPA講座ってのを開いていて、前から俺ら知ってるからさ、その人のこと。
 
G:その人にお願いするって決まった時にメンバーの構成を相談したら、卓のチャンネル数とかそういうこともいろいろあって、普段各々が他のバンドで使ってる4人とか5人とかで使ってるレコーディングスタジオじゃこの人数はまかなえなくて、いろんなスタジオに当たった結果、あのスタジオが一番適切なんじゃないかってなって。
 
M:だけど、あっちのスタジオの人からすれば、こんな人数で一発でするバカはいなかったって言ってたよ(笑)。
 

――僕、レコーディングで印象的だったのは、みんなはそれぞれセッティングも終わってヘッドホンを着けてスタンバイしていて、僕はPA宅の方にいたんですけど、“さぁ、録り始めましょう”となった時に、『クリックいらないです!』ってアユが言った瞬間、4人いたエンジニアスタッフが一旦マイクを切って、みんなには聞こえてないところで『え? 本気で言ってんのかな?』『いや、無理でしょ』とか言ってざわざわしてたんですよね(笑)。

 
G:基本的にクリックはいらないんです!
 

――もちろん! でもあの4人のざわつきをみんなに見せたかったな。

 
G:うちにはヒューマンドラムマシーンがいるので。
 
M:ゴッドファーザー(トシさん)の言葉で、“みんなのアンサンブル”というか、クリックとかあったら、
 
G:枠からはみ出ることができないんですよ!
 
M:そう! 常にぶっ壊したいから!
 

――ジャケットについても少し教えてください!

 
G:ジャケットはあたしがずっと昔から凄くリスペクトしていて、生き方とかにも物凄く影響を与えてくれたTOKYO MENTAL PICTURES SESSION BANDの元々3Pってバンドをやっていたクラタアイコちゃんに今回お願いすることになりまして、元々いろんなバンドのデザインだったりとか、自分でデザインフェスタとかで自分のデザインを売ったりとかするような人で、アイちゃんに頼むってなった時に『アイちゃんに好きなように自由に全部やってくれ』ってお願いして。
 
M:あぁ、チンピラの話ね。
 
G:そう、不良主婦。
 
M:超とっぽいんだよ!
 
G:(笑)。3Pっていうバンドで今お笑い芸人になった東京ホームランセンターのヤスさんの奥さんのコテルさんがいて、あたしもその人に物凄くリスペクトがあって、あとカサさんっていうドラムのめちゃくちゃカッコいいお姉さんがいて、3Pの音源の帯に“仕上がり姉さん3人組による”って書いてあって(笑)、おそらくレーベル元のFORWARDのソウさんがキャッチコピーをつけたんだと思うんですけど、“仕上がり姉さん”って呼ばれてえ!なみたいな、あたしも“仕上がり姉さん”になりたい!と思っていて、その“仕上がり姉さん”に今回はお願いしました。
 

――いや~、凄い仕上がってましたね。

 
G:すげー仕上がり具合!!
 

――音源オファーは他からはなかったんですか? 僕がオファーしたのはいつだったかな? てっちんくん(=テツ)が入った今の体勢になって初めて観て、

 
G:オファーを貰ったのはケンちゃん(ROCKET:Vocal & Guitar / ダイオウイカ:Vocal & Guitar / 海七)の送別会イベントだな。ムーンステップのWOOD VILLAGE PARTY(2016年11月11日@中野moonstep)。
 

――てっちんくんが加入したのはいつくらいなんですか?

 
G:テツはいつだったけな~。
 
M:あ、俺、ちょっとテツの話していい?
 

――はい、もちろん。

 
M:テツはねぇ、唯一俺がお願いして入ってもらった。
 
G:ワラワラ入ってくるメンツの中で、『俺やりますよ!』って入ってきたアニキだったり、面白そうだから入ってみようって入ったり、あたしが一番印象に残ってるのは、COSMOってDOM STUDIO企画のイベント(DOM STUDIOで開催されてるジャンルレスに多くのバンドが出演するイベント)で、最後はみんなで焼き肉アフターパーティーみたいな時に、アカネ(Djembe)が『ghettosやっちゃうよ!』って言いながら屋上の奥の方でジャムってたりとか、その時あたしghettosに入るつもりなんてまったくなくって、そういう風に打楽器で始まった中でのバンドだったんですけど。
 
M:人数が増えてく内に、ベースが必要になってきて、俺がまぁベースをやってたんだけど、あまりにもその、表現の少なさ?
 
G:出したいところはあるんだけど、それを表現する技術がないという。
 
M:そう。それでとりあえずベースを入れようと、まともな。そうなった時に、一人別で来てたりしたんだけど、俺は人間的にパッと見でダメで、案の定ダメだったんだけどね。
 
G:揉めて帰しちゃった。
 
M:誰がいいってなった時に、唯一のこだわりだよ、テツ、テツがいいって。俺以外で、って選んだらテツしかいなくて。一回目は断られたの。でも、もう一回お願いしたの。何カ月か経ってからね、いや、一年間くらい寝かせたかな。
 

――知らなかった! じゃあだいぶ前からなんすね。

 
M:したら、あそこのぎゅうばか(焼き肉屋さん)に呼んで、話があると。
 
G:タツヤとあたしとシモと。
 
M:『お願いがある、やってくれ!』っつったら、『うん』、て。
 
G:もう周りから打診がいってたらしくって、外堀は固めた状態というか(笑)。
 
M:ある意味、俺が固めたんだよね、何十年も生きてりゃそりゃね、知恵はあるから(笑)。
 
G:一回断られたんだけど、さらに外堀を固める感じで、周りから話がいくように、『テツを入れたい、テツを入れたい』って洗脳的に周りに吹聴して、テツの耳にその話が入るようにしてからお願いしにいくっていう。
 

――僕はROCKETのワンマンGIGのghettosのデビューライヴから観てますが、

 
M:え? 平山くんあれ観てたの?
 

――観てましたよ!

 
M & G:(爆笑)。
 

――なぜ爆笑なんすか? その後も何度か観てたのですけど、WOOD VILLAGE PARTYの時にベースが加入して初めて観て、本当に感動したし気持ちよかったし、マジで最高やったんです。涙目で踊る、みたいな。レーベルを始めて2度目のライヴ終了直後に楽屋に突入オファーをしにいきました。

 
G:あの日のライヴは全バンド凄かった。全バンド気持ちが籠ってて。ケンちゃんっていう人間の存在の大きさがね。
 
M:ROCKETだよ。ケンもそうだし、ROCKETってバンドは俺ん中ではね、うん。ghettosやるきっかけの一個でもあんだよねROCKETって。
 

――そうですよね。でも、ちょっとそれはのちほど喋りましょう(戻そうと必死・笑)。

 
M:テツの話?
 

――え? テツの話まだあります?

 
M:あるよ。
 
G:(笑)。
 
M:俺、コンガやったのも、その時もたまたま何周目かのサンタナにハマってたのね。
 
G:何周目かのね(笑)。
 
M:人生何周目かのサンタナ。で、コンガ欲しいな~とか思ってたら、コンガが手に入ってやり始めたのよ。で、音楽をやるには挑戦だと、常に。だからテツが入った時も、テツ最初はピックでやってたんだけど、『指でやれば?』つって無理強いして。『俺も苦しんでっから』って。
 
G:同じ痛みを味わえと(笑)。
 
M:それじゃあ難なくクリアしちゃって指弾きでいい感じになってきてる。テツの柔軟さっていうのは前から知っていた、俺はあいつと古いから。昔っから知ってっから、音楽が好きっつう、そう、本も好き、映画も好きと、俺と一緒なんだよ結局。ベースはね、そういうやつじゃないとね、ある意味ね、いろんな世界を持ってるやつじゃないと。だからいいなって思うやつはテツしかいなかったんだ。あと、酒乱。
 

――酒乱ですね~(笑)。

 
G:酒乱を隠すよね~。
 

――隠しますね~(笑)。

 
M:隠してても俺はすべてを知っている。
 
G:あたしは酒乱のテツも超好き。

――音源オファーに関しては、お願いしますと言いに行った時に、ほぼ即答でOKやったじゃないですか、あれは?

 
G:こんなにとんとん拍子に行くものかと思って。まず、一番最初に何回目かの路上ライヴをやっていたらghettosを撮影してる人がいて、その映像がお酒のSMIRNOFFのCMになって、お台場のでかいDJイベントのKIRINのブースで流れたりとか、“なんか企業が絡んでくるなぁ”という感じがあって。あの~、みんな警察大好きだから、すぐ対警察みたいな感じになって超盛り上がっちゃうんだけど、とりあえず自分で各々思ってることもたくさんあって、選挙があった時に、せっかくだからじゃあ路上でやっちまおうぜってなって高円寺駅前でやってたら、フランスとドイツの国営放送の人たちが日本の今の状況をドキュメンタリー番組にしたいというので撮影クルーが日本に来ていて、いろいろ縁があって、その映像を撮りたいっていうことで撮ってくれたりとかもあって。結局その映像は今年の7月に本国(フランスとドイツ)とスイスでテレビで放送されるのと、上映会が天皇の生前退位のドキュメンタリー番組と一緒にあったりとかもして。そういう流れがあって、“剥き出しになればなるほどさっき金になる”って言ってたけど、剥き出しになればなるほどこういう思いを抱えてる人って、なんかちょっとおかしいなとか、こういうあたしたちが今普通に思ってるようなことを思っている人たちはたくさんいてそういう風になっていくんだなと思って、バンドが転がり始めていく時に、とんとん拍子でその、
 
M:いや、剥き出しになっていけば、流れは勝手にできていくんだよ。それに乗っちゃう、乗れるメンバーとやってるんだ、躊躇しないやつ。
 
G:で、流れがとんとんとんと来て、最後の一打が平山くんからのオファーで。あのWOOD VILLAGE PARTYの時はほんと全バンドめちゃくちゃ良くて、ほんとにみんな気持ちが籠ってて、そういうところで、あたしライヴやって、いや、バンドやってて、『お疲れ、良かったよ!』ってあの日言われた時に、みんなが言ってくれる顔が物凄い幸せそうな顔で言ってくれて、その時に“人のために演奏することってできるんだ”と思って。そこで平山くんにガッと伝わって今回レコーディングの話をもらって。で、レコーディングだったらもう、即答ですよ。

――他のレーベルからのオファーは無かった? オムニバスも含めて。

 
M:ないよ。
 
G:ないない。
 
M:あるわけないじゃん。だって変態だもん、平山くん。
 
全員:(爆笑)。
 

――自主で音源を作ろうとかも思わず?

 
G:そのうちできたらいいなとは思ってたけど、
 
M:何も考えてないよ。
 
G:何も考えてないです。
 
M:常に全員がいっぱいいっぱいだから。

――それにしてはオファーからレコーディングをするまでの期間がめちゃくちゃ早かったなと思ってですね。

 
M:だから、流れに乗ってるだけだから。自分らが吐き出せば、流れって結局来るから。全部目の前にやることも揃ってて、目の前にあることを全部やれば、勝手にこう、転がってくだけだから。あとね、ごめん、テツの話だけだと思ったら違ってて、れいかさん(Guitar)も俺、誘ったの。これ、すごい要で。れいかさんの存在ってやっぱデカくて。始めたばっかの楽器の人もいたり、あんまりライブで経験したことないままやってっけど、少ない人でやってっから、度胸もなくて、すぐ頭も固くなんだけど、それを柔らかくしてくれるヴァイブレーションを持ってんのが、
 
G:れいかさんなんですよね~。

M:れいかさんなんだよ。

――普段の遊びからでもれいかさんと話してたら感じますね。

 
M:俺はれいかさんのギターも大好きで、だけどれいかさんのヴァイブレーションをすげえghettosに入れたくて、それを頼んだら即答であの人も。そう、あの人もそう。ヴァイブレーションね、あの人のね。物凄いアクセント。ほぐしてくれるというか。
 

――てっちんくんやれいかさんやもうすでにたくさんメンバーの話が出ていたり、バンドについてもいろいろ話してくれていますけど、改めてバンド結成から今に至るまでのことを聞いてもいいですか? 僕、一度聞いて文章にはしてはいるんですけど、結成は、僕が前に聴いた話によりますと、2013年、この高円寺DOM STUDIOを拠点にマコトさん、オクヤマくん(Bongo)、トシさんの三人で結成。

 
M:結成というか、だだの……、第何期サンタナブームがきて、“コンガが欲しい、コンガが欲しい”って言ってたら、コンガあるよって人に貰えたの。そしたらオクヤマがボンゴを拾ったと。
 

――道で?

 
G:道で(笑)。
 
M:それをゴッドファーザーのトシさんに言ったら喜んじゃって。で、ここ。DOM STUDIOの屋上とかスタジオで、あとCOSMOとかで適当にやってたら人も見るし、気持ちいいし(笑)、それで始まってやってたら、
 

――それはほんとに三人だけで、コンガとボンゴとティンパレスのみの打楽器のみのジャムセッションをしていたんですよね。

 
M:ジャムというか、ただの吐き出しというか、カオスな状態だよね(笑)。それをやってたら、何で持ってきたのかわかんないんだけど、ROCKETがいきなりライヴのオファーを出してきて。あれROCKETのワンマンだよね?
 
I:そう。どうやらそういうのをまこっちゃんたちやってるみたいよって話が出て。
 
M:そんなの俺たちパニックだよね。ライヴなんてさらさらやるつもりもなかったし、そういうのじゃないから。ただポコポコやって遊んでるだけなのにいきなり声が掛かったら……嬉しくて。
 

――まことさん、素直ですねー。

 
G:(笑)。
 
M:ちょうど俺、なんか素直な周期に入ってたんだよ(笑)。
 
G:素直な周期ってなんだよ(笑)。第何期の素直の周期?
 
M:でも、だってできるわけねぇじゃんって普段から言ってるはずなんだよね。偶然なんだよ。だから、そこに乗っかっちゃったんだよ。『ROCKETのワンマンだから、恥はかかせねえぞ』と。そっからガンガン叩いて。その時にタツヤと遊んでて、すげー無理矢理こう、三人じゃようは、怖いから、ようは馬鹿二人(トシさん&オクヤマくん)じゃん、しっかりしてんの俺だけだから。
 

――自分で言う(笑)。

 
M:だから『タツヤと俺でコンガブラザーズだ!』って勝手に名前つけちゃって。んで、偶然オークション見てたら、6000円のコンガがあったの。“これは買いだ!”と思って買って、タツヤに『これ叩け!』ってやって、それでコンガブラザーズ(笑)。それで、ダイオウイカもあったんだよ。ダイオウイカも俺けっこう、
 
G:『ダイオウイカのバックでやる』って言ってたもんね。
 
M:そう、夢があったの。
 

――あ、ダイオウイカに入るっていう?

 
M:うん、ダイオウイカのバックでやるっていう目標があったの最初。
 
G:言ってた言ってた。
 
M:そしたらROCKETが誘ってきたんだよ。ROCKETと関わってたらダイオウイカのサヤカちゃんとかあーちゃんとかも来てくれて。
 

――そうですね、ダイオウイカのメンバーがghettosには三人(サヤカ、アカネ、ヒトシ/Djembe)いますもんね。

 
M:まんまと罠にかかり(笑)。だから俺、“ゲットーイカ”っていうのもすごい考えてるんだよ。そうなのよ、やりたかったことなの、スタートはほんとそんな感じ。
 
G:ROCKETのワンマンが終わったあとに、じゃあ、ちょっとちゃんとスタジオに入ってみるってなって、アユミがドラムで、アニキがトランペットで入ったのかな。ケイボウさんとケイボウさんの彼女の謎のダンサーのナナちゃんっていうのもいたな。
 

――ROCKETワンマン後に次々に入ってきたと。

 
M:そうそうそう。
 
G:あたしはそのころも全然まだ(やる気は)ない状態で。そのあとなんかで参加しようかとなった時に、アユミにベースのこととか音楽のこととかを相談した時に、『シェイカーが振れなかったら音楽なんてできないよ』みたいなことを言われてて、それじゃあシェイカーはじめるキッカケとしてシェイカ-で入ろうかなと思って。
 
M:まぁ、普段からここ(DOM STUDIO)でみんな遊んでっからね、勝手に。それがたまたまこうなった。
 
G:最初にそのメンツでスタジオに入り始めて、そしたらギターも増えてって感じで。
 
M:それで多い時は最高17人もいることになっちゃったから。
 
G:トライアングルもいたしね。
 
M:そういえば、そうだ、最初のROCKETのワンマンの1発目のライヴが終わったら、いきなり二人パクられちゃったのよ。二人とも懲役になって、俺ひとりになったのよ。
 
G:まぁタツヤもワンマンから入ったから二人だね。最初はボンゴとかトライアングルとかもちゃんといて、ボンゴは私が元々一緒にバンドをやっていた電脳戦隊バイブマンDXでドラムを叩いてたコヅエって子がいたんですけど、1、2回スポットで入って抜けて、その後もりさんがトライアングルでいて。ちょうどその時期にもりさんがテルミンを始めたって言ってて、『ちょっとこの人数でテルミンは無理だから』、って言ったらトライアングルがあるっつうから、子ども用のトライアングルかと思ってたら、クソ太い、競技用? 競技用じゃない? 競技用トライアングルみたいなので、そういうのもいたりして、ヴォーカルもいて、ねたのよいのノディーくんもギターでいたりしたから、最高17人。
 
M:でも、今もメンバーだよ。
 
G:うん。
 
M:今はやってないけど、ghettosに関わったやつはみんなghettosだから。
 

――ghettosの音楽の方向性といいますか、

 
M:方向性はないよ。柔軟だね。
 

――ジャンル分けするつもりはないんですけど、音楽の種類として考えると、

 
G:World music。
 
M:雰囲気を出したいっつうので、その土地土地のリズムは使う。ただそれだけ。
 
G:もしアルバムを出すとしたら、一曲一曲で世界中を旅してられる感じで世界のいろんなリズムとかを入れていければいいねって話はしてる。
 
M:いるメンバーの、“だけの表現”をしたいよね。
 
G:イチ出したら、あたしイチこれ持ってるつって、俺はこれイチもってるよってところで、それぞれ持ってるイチを出し合った上で、持ってるものを出し合った全部が、こう、ケミストリーを起こしていければすごくいいっていうか。そういう風に考えているから、そういうジャンル的にはなんでもいい。もう、なんでもやる感じですね。
 

――ghettosといえば、DOM STUDIOってなくらいにこのDOM STUDIOを拠点にしているバンドだと思いますが、DOM STUDIOってやっぱり高円寺のなんていうんだろう、名所といいますか、

 
G:ここが発信地点です。
 
M:うん、そうだろ。ここはね、元々EARTHDOMの古川くんがやってたの、まず2部屋でやり始めた。ここが生まれた理由っつうのは、どこもスタジオが高いと、バンドマンが言うと。それで、高円寺でどこよりも安いスタジオをやるっつうのが始まりだったの。んで、俺、高円寺をたまたまプラプラしてたら、新しいスタジオができたっつうから冷やかしに来たら、そういう話を聞いて、じゃあ使わしてくれと、ツケでね。
 

――(笑)。

 
M:金は払ってない(笑)。でもとにかく使わしてくれと。そこからここでやり始めたの。
 

――どれくらい前の話ですか?

 
G:20年前くらいじゃない?
 
M:もっとだよ。いや、20年前くらいか? どれくらいだろう。そん時はピーちゃんとかもいたよ。
 
G:秋山くんとかもいたね。で、そこからよしきよくんとアニキの白石兄弟がバイトで入って、そうこうしてるうちにスタジオじゃなくってライヴハウスがやりたいって古川さんがシフトしていった時にDOM STUDIOを閉めるって話があって、それで閉めるんだったら俺らが買い取ってやりますよってなって白石兄弟が買い取って、そこからCスタジオとGスタジオってDJの機材が常設してあるところがあって、それが日本で初めてDJ機材を常設したスタジオなんですよ。プラス、日本で一番安いんです、今でも。NOAとか他のスタジオもDJの機材を借りればDJの練習ができるけど。でもここが日本で一番安い。
 
M:俺、ここの内装を結構手伝ってんの。防音関係からなにから。みんなでここ手作りするから、だからうまくいってるんだよ。1時間手伝だったら、1時間個人連していいの。
 

――そりゃ素晴らしい!

 
M:スタンプ押してくれんのよ(笑)。それに目がくらんで。アユとかもね、あいつが小僧の時は金もなくて、ただスタジオが空いてる時はこっそり入ってやろうと思って、ただここに来て溜まってたやつだから。
 
G:30分スタジオに入るために1日待ってたりしてたからね。
 
M:そう。そういうやつがここにいっぱい集まってたの。そういう、金がなくてタダでスタジオに入りたい人(笑)。スタンプ押してくれるっつうから。
 

――ghettosのバンド名の由来は?

 
M:これはですね、俺、プレスリーが好きで、その時も第何期のプレスリーブームが来てて、『In the ghetto』って曲があんの。結構しっとりした、ゲットーの女の子の歌なんだけど。ROCKETのワンマンに呼ばれた時にバンド名考えないととなって、んで、その時にたまたま聴いててghettosにしようとなった。ただそれだけ。だから貧乏とか、
 
G:まぁ、うちは貧乏だけどね(笑)。
 
M:そう。でも、ゲットーってそんなとこじゃなくてね、貧乏というそういう意識もなくて(笑)、ただ『In the ghetto』って曲があって、ghettosにしようという、ただそれだけ。
 
G:何の意味も、そんなにないですね。
 
M:ない。プレスリーの曲だから。
 

――前述してますが、ライブのスタイルというか、路上ライヴを最初はよくやっていたとのことですが、

 
G:最初のころはなんか、ギターもいなかったし、エレキを使うのがなかったので、ただただ打楽器の集団だったから、とりあえず外でやろうよみたいな感じになって始まったんですけど。
 
M:路上ライヴを本来もっとやりたいけど、ライヴハウスに呼ばれるようになっちゃって。路上でやる難しさってのもあるけど、路上って結局、あそこがホームだから。行ったら行ったで毎回お巡りに囲まれるわけだけど。
 
G:本来だったら路上をメインにやっていきたいなっていうのもあって。もちろんライヴハウスでもだけど。でも、また別物としていろんなかたちでやっていければいいなとは思ってる。ライヴハウスだけでライヴだけじゃなくて、路上でももちろんやって、どこでもできる、なんでもできるしって。今ちょっと話は断ち切れてるんですけど、サヤカの娘が通ってる学校の音楽の授業で、そこの保育園で演奏会をやるって話とか、西成の孤児院というかそういうところでライヴをやるとか、そういうこともいろいろやっていきたくて。個人的にはRAGE AGAINST THE MACHINEが共和党の集会があるところの隣にステージ組んで『ふざけんなー!』みたいな野外ライヴをやるっていう映像をこないだ観て、あたしそんなRAGE AGAINST THE MACHINE通ってないんすけど、“これやりてえなー”と思って。路上をやる大変さって言うのはほんとに対警察もいろいろあるし、いろいろあるんですけれども、“もうパクられてもいいやつだけ来い!”みたいな。パクられてもって、まぁみんなうまく逃げてくれよとは思うけど、逮捕されてもいいって思う気持ちのやつだけ、その怒りをぶつけるために来てくれみたいな。そういうのを国会前とかでやりたいなっていうのはちょっとあたしは個人的にあったりもして。
 

――去年(2016年)の高円寺の阿波踊りの時のゲリラライヴですけど、映像だけで見るとまるで暴動のような感じでしたが。

 
G:あれは暴動でした(笑)。初日はそうでもなかったんですけど、次の日にDOM STUDIO前というか、DOM STUDIOの下のPAL商店街の中でやった時はほんとにヤバくて。みんな超盛り上がりすぎて。たぶん200人くらい集まったんだけど、誰も道を通れないくらい爆乗りにみんななっちゃって、それで警察と公安が30人くらい来て『もう辞めろーーー!!!!』みたいな(笑)。警察来ちゃうと嬉しい気持ちになっちゃうから、逆に。結構、好きだから(笑)。言うてもね、『オラァ―!!』みたいなになるの好きだから。
 

――ghettosはハードコアパンクを地で行くというか、そういう生き方、生き様な人たちが音楽をしているという、

 
M:ロックンロールバンドだから。
 

――はい。

 
M:だって本来、音楽ってそんなもんなはずだから。元々ロックンロールが始まったのだってそうだもん。でも、うまく金にもしたいんだけどね。まぁ、したいというか、それは後からおっつくもんで、金目当てでやるんじゃなくて、自分をさらけ出せば、自分を、
 
G:言葉にすると“気合い”“根性”とかそういうのと同じで、言葉にするとまったく意味は変わっちゃけど、とにかく音楽で熱くなりたいだけで。
 
M:やってることがたまたま音楽なだけだよ。
 
G:そりゃそうなんだけど、その音楽を選んだうえで、その音楽でめちゃくちゃ熱くなることができればいいと、そういう風には思ってる。
 
M:音楽って元々、線……、あの、確かに標準のリズムの部分ってあるでしょ? それはそうだけど、あくまでも標準のことであって、だけど二人いれば二通りの、三人いれば三通りもあって。一人が入ればまた新しい、線がないところが、俺音楽で好きで。あと、これだけは言っとく。そんな長くないと思うんだ、ghettos。旬のもんだから。音楽って旬のもんだから。だけど、いけるところまでいこうと思ってる。
 

――ついていきます!

 
G:はは、ありがとうございます。
 
M:これほんと、いつ分裂しても、うん。俺はそう、みんなもそうだと思うんだけど。旬のもんだから。
 

――ghettosってバンドは二人はどういうバンドだと思ってます?

 
M:どういうバンドって?
 

――なんていうんだろう、自分たちを紹介するときに、自分たちはこうなんだ!みたいなスタイルというか、

 
G:ない! ないッス!
 

――それは聴く人、見る人が考えてくれたらみたいな。

 
M:逆に枠にハメてほしくないよね。
 
G:聴く人がどういう風に思っても、それは人のあれに任せます。何を感じたかっていうのはその人の感性で決めてもらって結構です。
 
M:ただ、必ずいい、自分の好きな曲はあると思うよ。
 
G:いろいろやるからね、広く浅くやりますから(笑)。
 
M:曲というか、リズムはあると思うんだよな。
 

――全然話変わりますけど、この濃いいメンバーが15人もいたらそれぞれにいろんなニュースがありますが、そういえばこの前れいかさんが大河ドラマ出るって言ってたけど、

 
G:結局大河ドラマにはでませんでしたね。
 

――あ、そうなんすか?

 
M:嘘だったんだよ!
 
G:嘘でした。
 

――え!? 撮影はしたんでしょ?

 
G:嘘ではないんだけど、結局放送はされなかったって(笑)。来週もしかしたら出る、かもしれないっていう。(※結局放送されませんでした)
 
M:ざまあみろだよ。
 

――(笑)。今後のghettosの展開や展望、イメージしてることとかありますか?

 
M:いけるところまでいきたい。メンバー同士、いきたいっていうニュアンスはあるんだけど、それがどこなのかもわからなくて。でもそれは、定めた時点でつまんなくなるから、いけるところまで。うん、いけるところまでね。
 
G:メンバーがいきたいところ全部にいってみたい。
 
M:逆に決めたやつとはやりたくないね。
 
G:途中で笑うな、途中で泣くなっていう、最後の最後まで突っ走っていければいいと思います。
 
M:いけるところまでいっちゃえばいいんだよ。

2019.09.22 Ghettosライブ フライヤー画像

――9/22にレコ初企画をやります。当日はレコードも発売します。出演する面々についてなどを教えてもらえたらと。(※テストプレスでマスターにミスが発覚し再入稿したため、間に合うかどうかギリギリのラインに……)。

 
G:SLIP HEAD BUTTは、もうむちゃくちゃ好きなバンドで、SLIP HEAD BUTTのレコ初に呼んでもらったんだけど、ちょっとレコ初には出られなくて、企画をやるんだったら絶対にSLIP HEAD BUTTは呼びたいと思ってて。昔から、全部に影響を与えてもらってすごい大きいバンドなので。ほんと、ほんと、ほんと、あたしghettosやる前はSLIP HEAD BUTTみたいなバンドがやりたいってくれいすげーかっこよくて。ねたのよいは昔からDOM STUDIOを経由して繋がりはあって、ノディーくん(ねたのよい:Vocal & Guitar)はメンバーとしていたっていうのももちろんあるし、ジャンルはまったく違うんだけど、おもしろいことやりたいとか、そういう風に考えてるところでねたのよいを呼びたくて。RAPPAはハードコアパンクなんだけど、めちゃくちゃカッコいいし、
 
M:馬鹿なんだ!
 

――(笑)。

 
G:音楽性云々関係なしに同じところを出せる、やれるっていうのでRAPPAを呼んだのと、
 
M:俺、何回かCROSSFACEで回ってるんだけど、個人的に、俺と同じテンションで遊んでくれるの。とことん付き合ってくれることは、一緒だなと思って。勝手な判断(笑)。
 
G:バンドはそれだけで、あとは、いち早くジャンべのユニットで始めていたっていう、あたしは名前だけしか聞いてなくて絡むのは今回が初めてなんですけど、鉄アレイの柿さんとEIEFITSのミノルさんがコンビでやってるJUNK BEATSと今回絡むんです。
 

――JUNK BEATSはかなり昔からやってるんですか?

 
M:うん。10年くらいじゃないかな。
 

――あ、そんなにやってるんですね。結構いろんなところでやってるんですかね?

 
M:やってないんじゃない。勝手に二人でやってるだけでしょ(笑)。
 

――僕、今回JUNK BEATSはお二人だけでやるのかと思ったらghettosに参加する感じなんですよね?

 
G:ghettos with JUNK BEATSで。
 
M:さらに壊してもらうんだ。
 
G:あとはBAR SPACE LIVEで元々KORAKORAってバンドをやっていた寝木くん。今ひとりでやってるソロもめちゃくちゃ良くて、めちゃめちゃ反骨精神に溢れた歌詞なのにめっちゃ優しい、そしてセクシーな弾き語りをやってくれる。DJはO.D.っていってDOM STUDIO繋がりなんだけど、比較的年齢も近いんだけどめちゃくちゃ気合いが入ってるHIP-HOPの人で、かける曲に対して、こういう気持ちで聴いたんだろうなって、曲にこういう風な思い入れがあるっていうのが伝わってくる選曲をしてくれる人で、物凄くいい曲かけてくれる。ラウンジにもDJ単体として聴くのも凄いいい選曲をしてくれるO.D.。
 
M:(場の)雰囲気を感じてやってくれんだよ。
 
G:そう、ほんとDJとしての表現を持ってる人。あとGONZは、ほんと、悪い(笑)。とにかくもう、チンピラ。選曲も凄くいいですから。BAR SPACEにいてもフロアにいても絶対に楽しめるいい企画になりますのでよろしくお願いします!
 

――じゃあ最後に、最後まで読んでくれた人に一言、いいですか? 

 
M:なんだろ、観て、聴いて、笑ったり、いろいろ頭に来たり、勝手に、はは。
 
G:感じたことは、直接言いに来ていただければ。
 
M:俺はめんどくせえからいいかな。
 
G:望むところなんで、剥き出しで来てくれたら剥き出しで返しますんでよろしくお願いします!

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